スピリチュアルセラピスト 緑真名美

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ブログ/2019-09-05

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ご先祖巡り冒険記

関東のお客様よりおたよりをいただきました。

ルーツを辿るビジョンクエスト
偶然じゃない偶然の出会い
興味深いですね

岩手はまず、日本じゃないみたいでした‼️✨

あの雄大な自然に感激して、ちょっと住んでみたいかも?
と思ってしまいましたよ。

岩手には父親の親戚などひとりもおらず、また住んでいた家もないので とにかく人に聞いたりお寺に行ったり、お墓を見つけては練り歩いてみました。

戸籍にあったひいひいじいちゃんの住所に行ってみたり… その近くの石碑を見てみたり… なかなか手がかりがないまま途方にくれて、どこかでランチを食べなきゃと思い、普段ならまず入らないであろうキタナシュランなたこ焼き屋さんに入りました。
その人と話しながらたこ焼きが焼けるのを待っていると、ひとりの中年のおじさんが急に入ってきて 店主と仲良さげに話し始めました。
中年おじさんが持っていたカレンダーに名前が書いてあったので、「あなた〇〇さんですか?私も〇〇なんです」と言うと
「えっ、どこの〇〇さん?」という感じで話し始めました。

結果親戚ではなかったんですけど、そのおじさんが、地域の菩提寺はだいたいどこそこだよとか、いろいろ本当に親切に教えてくださって、ある1つのお寺に行きました。

お寺で住職にしつこくお願いして、怪しまれながら調べてもらうと、なんと私のひいじいちゃんの名前が出てきました…‼️‼️衝撃でした!まさか見つかると思っていなかったので。
戒名も、ちゃんとありました。

翌朝 先祖が住んでいた近くの共同墓地を練り歩き、見つからなかったので さらにそのお寺の中の墓地も練り歩きました。田舎なので 山の上まで墓地があって、山も登りながらローラー作戦でした。でも結局お墓は見つけられませんでした。
でも、かなり大きな成果でした。他にも、期待していなかったけど、もっと古い戸籍がないか市役所に行ったら、天保とか嘉永とかの時代の戸籍を手に入れる事ができましたし、私が生まれる前に亡くなったじいちゃんは 松尾鉱山で働いていた事もわかりました。松尾鉱山資料館などに行って、じいちゃんがどんな仕事をしていたのかや、当時の生活風景なども資料や写真で見ることができました。

八幡平は本当にいいところで、人も優しくて、男の人もいい人が多くて、結婚するなら岩手の人がいいとか思いました。
農業の人手を必要としているので、私の今後のビジネスでも岩手と繋がっていきたいと思っています。

友達もできたし最高でした。

その後磐越をひたすら走って新潟に行きました。

私の母親のいとこが 山古志で商売をしているので そこに尋ねると、あっという間に話が進みました(笑)
山古志の人も本当に親切な人達ばかりで… あれこれ教えてくれて、先祖の墓もお参りに行けました。それから、本家が住んでいた家や氏族の長のお墓もわかりました。
やっぱり生きている親戚がいるとすごく早いですね😅

山古志の先祖も、母の父親の家系の戸籍がまだ全部揃っていなかったので、長岡市役所に取りに行きました。取る前から予想していたけど、そこの家系が1番気になっていたのですが、予想が当たりました。かなり複雑な家系で、出たり入ったり、入り混じっていました。それぞれの戸籍を取ってよく見ると、「この人は相当寂しい思いをしただろうな…」と思う人が何人かいました。親や親戚から 悪く言われていた記憶がある人ほど、恵まれない境遇であったようにも思います。
岩手も新潟も面積が広いので、ちょっと隣町まで…と思って車を走らせると、とんでもない距離である事がほとんどです😅
隣町まで3、40キロとか当たり前でした(笑)

車を走らせながらいろんな事を考えるのですが、母のいとこ夫婦と食事をした帰りに ふと、ある事を思いました。先祖供養!と、ずっと思っていろいろやってきましたけど、私はうちの家系の中である人の事を忘れていた事に気づきました。
それは母の兄で叔父さんでした。
長男でしたが、20歳前に家出をして それきり祖父母とは絶縁になった叔父さんでした。
私は子供の頃から変わり者だから… 変なやつだから…と、聞かされて育ちました。

子供はなく、10歳ぐらい年上の奥さんと2人で生活していましたが、私達の知らないうちに その奥さんは亡くなっていたそうです。食事をした時にその事を知り驚きました。
私だけではなく、祖父母も両親も知らなかった事でした。
私はふと、
彼が死んだら誰が供養するんだろう…とか
今はどうしてるのかな?とか。
どんな思いでこれまで生きてきただろうか…

岩手、新潟、それぞれの地でその土地の歴史なども調べましたが、どこもみんな昔は壮絶でした。
天明や天保などに大飢饉があって、岩手や新潟は寒くて米ができずらく、それでも年貢の取り立てで追い詰められ 寒い地域でも比較的 収穫できるヒエやアワや蕎麦の実も作れず、年貢の米作りを優先させて 自分たちが食べる食べ物が無くてかなり多くの人が亡くなりました。八幡平を流れる赤川は、死体の山が川をせき止めるほどだったそうです。山古志では、その苦しさから盗みをしたり 犯罪に走る人もいたとか。自分の先祖が そんな苦しい中、よく生きてくれたなと思います。それに 毎日食べる物がある奇跡に本当に感謝しないといけないと思いました。
これからも日本人が食べる事で苦しくならないようにビジネスをしていけたらいいなと思います。

そんな訳で、この旅はとても有意義で、私にとって特別なものになりました。
先生が言っていた通り、行ってこそわかる事がたくさんありました。これから家系図を整理していきますが、まだまだ新たな発見もあるかと思います。
帰り道、岩手を離れるのが まるで自分の故郷を去るかのような寂しさがありました。ご先祖が喜んでくれたのかな?と思いました。本当にそうだといいのですけど。

長い文章で失礼しました。私に先祖の旅へ行くきっかけをくださって本当にありがとうございました。緑先生のお陰でたくさんの世界が広がっています。本当に感謝です。

岩手

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