スピリチュアルセラピスト 緑マナミ Tokyo,Kyoto,Japan

霊媒を通じたスピリチュアルメッセージ リーディング チャネリング カウンセリング ヒプノセラピー 京都  東京赤坂

プロフィール

M.Midori

スピリチュアルメッセンジャー ヒプノセラピスト 緑マナミです。ある霊的な目覚めの体験によって、以来20年にわたり、スピリチュアルセラピスト/ヒーラーとして魂にはたらきかける施術を行っています。

東京生まれ 千葉の田舎育ち。小さい頃は九十九里に近い「千と千尋の神隠し」の景色のような自然の中で育ちました。家の近くは森や林や田んぼ、畑といった環境でしたので、友達と「となりのトトロ」に出てくるような森で遊んでいました。常に足やおしりにすり傷を作っていて、ワイルドな女の子だったように思います。怪我もしょっちゅうでした。ブランコや窓から転落したり、やけどもよくありました。アケビを採ったり、湧き水を見つけたり。ターザンごっこや木登りが得意でした。オテンバではないんですが、田舎なのでみんなそんな感じでしたよ。あまりお人形遊びはしなかったように思います。リカちゃんとか、買ってもらえませんでしたね。外に行けば何か遊ぶものがあったんです。いわゆる「何もない田舎」で育ちました。何もないんだけど、季節を肌で感じていたし、空が広かった。子供の頃の趣味?は虫の生態の観察ですね。クモが巣を作るのを見るのが好きでした。やわらかくて透明で光る糸で編んでいくように、正確に巣を張ります。木や草に親しんでいたせいか、植物にも性格があるんだって何となく感じていました。みかんの木やびわの木はかわいい感じとか親しみやすい感じで、人によく面倒をみてもらうと実が美味しくなります。でも 話しかけるとか、ちゃんと世話をしないと枯れたりへんな虫がついちゃったりする。庭にいちじくの大きな木があったんですが、神秘的な感じで子供にはちょっと怖かったです。いちじくは知恵があるお年寄りって感じの木でした。そういえば畑を持っているおじさんおばさんはよく作物に向かって話していました。「あ~、あんだ~ゃ、虫がついてっぺ~、とってやっからな!」って感じで。そういうのが普通だと思っていたんですよね。小さい頃の田舎暮らしが私の精神世界のベースにもなっていると思います。人は自然と対話できる。そういうことに心を動かしますし、価値を感じるんです。

M.Midori

小さい頃は田舎で祖母に育てられました。おばあちゃんだからお友達もおじいさんおばあさんです。お葬式に行く機会も多かったです。昔の人って兄弟姉妹が多いし親戚も近くにいるので、人とのお付合い=暮らし みたいな様子で、でもそれが当たり前で、ストレスにも感じていなかったように思います。町内の婦人会だって忘年会の料理を作るからわーっと人が集まってにぎやかにお料理して。その手際の素晴らしいこと。小さい私もサヤインゲンのすじを取ったりお手伝いをしていました。お料理を仕事が終わって集まった男衆に振舞って、まぁまぁ、って言われながら割烹着姿のおばさん達もお猪口で付き合う。小さい頃ってにぎやかなのが好きですよね。年末やお正月はなんだかわくわくするイベントでした。親に連れられて来る、いつもはあまり会えない遠くから来る子やはじめて会う子と一緒に遊べるのも楽しみでした。

少女時代は、音楽に対する思い入れがあって、音楽を通して自己探求したいと思っていました。言葉で伝わらない、自分を表現したい。若者は「社会の抑圧」や現代社会の構造に組み込まれ服従せざるを得ない環境からくる「精神の歪み」を叫んでいたように思います。学校では罰として正座をさせられ、先輩には口ごたえをしてはならず、縦社会の中で「根性」を育てられました。「集中」と「根性」があれば勉強も部活もできると思っていました。当時のアイドルもよく「根性」って使っていましたよね。墨で書いて壁に貼っていたくらいです。それからだんだん右向け右はおかしいんじゃないかって思うようになって、自分らしくっていうのが大切だな、と感じるようになりました。個性的なのがかっこいい、って風潮からモード系にも憧れました。当時よく聴いていたのは、ユーミンや洋楽ですね。でも洋楽を聴いている人はまだ少数で、クラスに話が合う子がいなかった。マイケルジャクソンは誰でも知っていましたけど。はじめて行ったライブは「ブライアン・アダムス」の武道館公演でした。歌も演奏も上手くて、大音量でびっくりしました。彼のストレートなロックは、自分が表現したい抑圧された気持ちを開放してくれるように感じていました。

中学生までは、いわゆる不良の子も友達にいたのだけど、私はグレませんでした。今思えば、その頃からセラピストだったかもしれない。親子関係を見ていると両方の気持ちがわかるように思いました。だから不良の子のお母さんに好かれていましたね。それからグレたい理由が無かった。頑張れば社会って正当に自分を認めてくれると思っていたんですね。学生時代から横道に逸れちゃうと取り返しがつかなくなるような予感がしました。なんだか自分にはやりたいことがあるんじゃないかと。でもそれが何なのかは分かりませんでした。

勉強は好きでした。NHKの教育番組を見たりして、どうやったら効率よく楽しく勉強できるのかを知ろうとしていたかもしれません。それから、物事の捉え方が思想的、哲学的だったと思います。自分の捉え方や感じ方がちょっと人と違うなっていうのを感じていて、あまり自分の考え方や心の置き方を話すことはしなかったように思います。20代に入ると、いつのまにかいろいろな人から悩みを相談されいたり秘密を打ち明けられたりするようになりました。それも私が観念的な物事の捉え方をして問題を客観視するからだと思います。

学生時代からアイスクリーム屋さんやマクドナルドでバイトをしていたんです。だんだん要領を得て、ちょっと技術が必要な職に就くようになって。チャイナドレスを着る中華レストランとか。バイトの面接で落とされるということが無くなった頃には、サービス業が板についてきたんだと思います。冬のスキーシーズンだけ越後の温泉旅館で寮に入って仲居さんをしたり。雪がいっぱいで寒かったけど、新潟の景色は本当にきれいで、カレンダーにある「日本」の風景があるんだな!って感動しました。食べるものも地方って違うんですね。越後ですから、お米がとても美味しかったです。宴会を担当しているうちに、お酒も覚えてしまいました。今はお付合い程度しか飲めないのですが、お酒は越の寒梅、八海山、銀盤、男山と当時はかなりいける口だったかもしれません。なぜか新潟には縁があってその後も住んだり、旅行にもよく行きました。クラブ(音楽の)とアパレルの仕事をかけもちして、自分のお店を作りたいな~って思っていましたね。漠然とした感じでしたけど。地方にいるときに、有名なミュージシャンに会うことになったんですが、メンバーに「なんで東京に戻らないの?君のいるべき場所はここじゃないと思うよ」と言われ、自分の中で響くものがあったので、雪国の素敵なリゾートライフから、東京へ戻ってきたのです。

その後は音楽関係のお仕事をしながら、人生の模索。無我夢中、暗中模索でしょうか。渋谷にあったエッグマンっていうライブハウスのブッキングマネージャーとお友達で、業界のことを教えてもらいました。ミュージシャンそのものよりも、オーガナイズする側の人達と通じるものがあったようです。下北沢のシェルターにもお世話になりました。当時(20年くらい前)の知人は皆さん素晴らしい方でした。それぞれの道で今も健闘しています。そして嬉しく感じるのは、やるだけやった人が家庭を持って、今はお勤めをしていたりする。お店のオーナーで美味しい料理を提供している。あんな若い時に、ギター一本でやっていこうとしてたり、店長やマネージャーをしてたんだから、たいへんだったんじゃないかって思います。人には歴史が、奥行きがあるんです。またいつか皆さんと会って語りたいと思います。

現実的に自分が社会で何かを行うことに意義を感じ、20代で起業をしました。仲居さんのバイトが発端になっているともいえる、宴会、パーティやイベントに華を添える人材派遣業でした。営業を行い、お仕事をいただいて、サービスを提供する。やりがいもありましたし、関わる大人の方たちからいろいろ教えてもらいました。まだ若かったので大目に見てもらうことも多かったです。これまで自分の思いや熱意っていうのが一番の要因だと思っていた業界から、ひじょうに現実的な、利益、金銭が主体で人が動く世界にきたので、葛藤ももちろんありました。

M.Midori

そうしているうちに、私は交通事故に遭ったのです。1996年のことでした。たまに年号が曖昧になってしまうんですがちゃんと調べたら96年でした。ここから、スピリチュアルな人生に転換をします。

意識喪失状態の中、大いなる光、宇宙、神意識を体験したのです。

これまでの私の生い立ちを読んでいただければわかるように、「霊」や「光」はどこにも出てこなかったのです。幽霊も見たことはありませんし、ごく一般の世間で夢を目指して生きているひとりの女の子だっただけですから、

宇宙を体験した後は、180度の転換が必要になりました。

今思えば、起業した道も、自分の魂が目指しているものとは違う方向だったのですね。働けばお金も入るわけですから、これでよいのだと考えるようにしていたけれど、精神的抑圧というか、自分を出せない苦しさというのは積もっていました。

それは光の体験をしたときに理解できたんです。自分が苦しさを感じていたこと。開放され、自由になった体験から、どれだけの抑圧があったかと知ったのです。

そして、抑圧や否定や嘘やしがらみから開放された後、私には自然に、超能力と呼ばれる力が発現しました。

私は、霊的な次元の理屈がわかるようになり、人に霊界や異次元の世界からの情報を伝えるメッセンジャーになりました。

自分の不調や病は「宇宙の気」で治すことができると知りました。病気を作らないことは、生きていく上でとても大切ですし、心や身体を健康に保つこと、それが「幸せ」という感覚を得られる方法だとも気づきました。ストレスはなるべく避ける、避けられない場合は対処をする。癒す。

私は、宇宙体験をしたときには幽体離脱、霊界の体験ではなく宇宙次元に意識が向かいましたので、多次元、広域な意識の層とのチャネル(通信)を果たせるようになりました。

事故の後、幸い大きな後遺症や怪我にはならなかったのですが、自分の中に「光の体験の感覚」はしっかりと残っていたのです。自分は目覚めてしまった。でもどうしよう、人は皆、意識の存在で、宇宙から来たんだよっていうことなんだけど、世紀の発見をしたかもしれないのにどうしたらいいかわからない。ロックンロールな私のお友達とは話が合わなくなってしまいました。すぐにそれまでの仕事を辞めて、ヒーリングミュージック専門の音楽レーベルで働かせてもらいました。スピリチュアルな世界と関わるために、感覚のおもむくままに導かれていきました。

それまで私にはそういった精神世界的な知識が全くなかったので、紀伊国屋(本屋)に行ったんです。精神世界系コーナーの本を手にとって開いてみましたら、これは素晴らしい、わかりやすい、全部本当のことが書いてある!なんて親切な本だろうって思いました。シルバーバーチの霊訓という霊媒によって得られた霊の世界からの訓示が記されている本でした。

霊訓も、頭で理解しようとすればたぶん、わからないと思います。霊的な感覚で読む本で、感じる情報なんです。

事故の後すぐに、それまで立ち上げた自分の小さなオフィスの仕事を辞めました。自覚は無かったのですが20代で個人事業主で社長でした。女性の人材派遣業だったのですが、たいへん良い思い出ばかりです。学生の女の子と一緒に仕事をするのも新鮮でした。

派遣業をやめて、私はヒーリングやセラピーを学びました。
まるで生まれ変わるような、まったく違う世界に入っていく感動がありました。

食べるものも、玄米菜食になり、山登りをして、自然と親しみました。そうしたほうがよいという知識から動かされたのではなく、すべて自分が求めているものでした。

植物や自然の生き物と通じている感覚は本当に素晴らしいです。

土地と意識を交わすことを覚えていきました。

霊の世界を怖れず、霊と対話することを覚えました。

そういった道を進むにあたって、自分の中に迷いはありませんでした。

また、それまでのすべての経験が、スピリチュアルな学びをしていく上で統合されていきました。

「スピリチュアルな」視点と自分自身を魂としてとらえる学びが欠けていたせいで、私は自分に、世界に、起こるできごとにそれまでは混乱していたのだと明確に理解しました。

音楽に親しんできましたが、音と霊の世界は通じています。霊(心霊)も音によって喚起されます。物質世界の原理があるのが霊の世界です。この世のあらゆる現象は 音(霊波動)と共鳴、反応するものです。

また見えない 音 = 霊の波動 によって、波動自体を変えることができるのです。

私は、見えない、聞こえない音を感じて、その音から情報を読み取ります。

また、音を使って、対象の状態を変化させることができます。

弁財天は、妙音というのだそうですが、音を司るのが弁財天でしょうか。観音も、漢字で「音を観る」と書きます。

音によって体の調子を変えることができます。
音楽によって気分を変えることもできます。
音楽やそして音を受けると身体的、精神的な変化を感じます。

霊波動の世界とはさらに繊細な、見えない音の世界です。
現象化しているものごとから、更に時間をさかのぼったり、
未来や、今ある現実の、現象化しようとしている対象を
変容させるのは霊波動の世界に通じて行われるのです。

M.Midori

宇宙次元の癒し、生命の源の「気」自然界の「精霊」のエネルギーを
集めて癒すことができるようになった私は、人が自身の霊的な世界や根源の宇宙と通じるためにできることはあるだろうかと思い、潜在意識と通常の意識が交流する「ヒプノセラピー」をマスターしました。
最初に習った講義は「前世療法」で講師はトリシア・カエタノ先生でした。カエタノ先生はサイキックでもあり、全米でベストセラーになった小説「前世療法」の著者であるブライアン・ワイス博士ヒプノセラピーを教授しました。サイキックの先生の講義は私に合っていたようです。セラピー講座を修了した後に間もなくヒプノセラピストとして仕事をすることができました。光を体験した後の自分の感覚に、ヒプノセラピーの内容は難なく溶け込んでいったのです。

ヒプノセラピーは物質世界の時間の感覚を超越して、変性意識となり、潜在無意識と交流する、脳や心に直接アプローチをする画期的な、そして言葉の暗示誘導のみで行われるオーガニックなインナーワークです。

ヒプノセラピーで誰もが意識を退行して、過去のトラウマを見つめなおし、子供の頃のみずみずしい感覚を取り戻し、過去の問題に心の次元でけじめをつけ、自分の新しい人生に向き合う。

まるで生まれ変わるような体験ができるワークなのです。
そして、とてもスピリチュアルなセッションです。

誰もが、自身のスピリチュアルな意識を中心として見えない世界を
感じるようになる。

こんな素晴らしいワークがあるだろうかと思いました。

そしてヒプノセラピーを行っていた記録は、古代エジプトまでさかのぼることができるのです。神に仕える神官によって行われていたそうで、やはり高い霊的な知識が必要であることと、神=宇宙との交流を目的としたワークであることに違いないのです。

私はヒーリング、自分が宇宙や霊の次元と交流して行うリーディング(カウンセリング)、ヒプノセラピーを通して、

地球の人々がどこから来たのか、
なにを目的として生まれてきたのか

そしてどのような方向に進んでいくのか

を、思い出していただけるよう努めています。

まずは心の根っこにある自分に対する否定や無知を
解消します。悲しみや怒りといったあらゆる否定的な
感情も、無知から生じるものです。

本当の自分を知れば否定的な感情は癒され解放されます。

そしてさらに、自分の目的とは何かを知ります。

希望と愛の感覚を得ます。達成感。調和。

こういったスピリチュアルなセッションや自分と向き合う
ワークは、ほとんどの人が「否定的な思いや感覚」に悩んで
来ているようです。
まずは、古い感情を開放することから始まりますから、
今悩みがありません、という状態だとあまりスピリチュアル
ワークには気が向かないかもしれません。
自分を見つめる必要のあるときがタイミングといえます。

私の著書「光への扉」の、そのタイトルは、
光への扉を開けるのは自分自身で、そしてその扉は
自分の意識の世界にある扉 ということなんです。

私は霊媒です。霊媒の役割は、
光の扉へ つながる道へ誘導する道標です。



私たちが魂として 進むことができますように
光がそれぞれに もたらされますように
いまこの時に学ぶべき 最大のことが得られ
それらを後々までにも 分かち合えますように
私たちが学ぶべきことを 受け入れ
お互いを癒すことが出来ますように

 「海陸風」 2011.3.11  緑マナミ

スピリチュアルマスター セラピスト 緑マナミ

1996年 宇宙意識よりチャネリングメッセージを受け取るようになる。  
                              
1997年 東京でヒーリングワークを始める
1998年 東京・代々木でヒプノセラピーを始める
2000年 東京・渋谷でヒプノセラピストとして独立
2002年 チャネリングによるスピリチュアルカウンセリングも加え現在に至る。青山・横浜・藤沢などでワークを行う。     

                    

以後、自身の経験から、人生に気づきや癒しを求める人たちの導き手となる。 会社員や主婦をはじめとして、医師看護師、学校関係者、芸術家、舞踏家、作家、作曲家、俳優、実業家、美容家、科学者、学生、占い師、同業のヒーラー、セラピスト、霊能者など 10000人以上にセッションを行っている。
                 
霊媒としての能力とヒーリング技術を持つ。霊媒の能力で親類の癌の治療を行う、などの霊的な経験多数。大天使ミカエルとの通信、日本神霊界の神、宇宙意識、天使や精霊、先祖霊や土地の神などと対話する。ヴォイスヒーリングで宇宙から受ける波動で霊の浄化と活性化を行う。土地との通信と光による浄化、自然界との対話。

スピリチュアルな能力は誰にでも備わる自然なものであると説き、地球や自然、周囲の人々とともに暮らす調和の意識を持つことからハートを開くことを伝える。幼児期や出世期から見つめなおし自分の心や意識を育てる「エイジリグレッションセラピー」「インナーチャイルドセラピー」 母の胎内を再体験して今回の人生の生きる目的や生きる力を思い出す「胎児期(リバース)セラピー」の普及をすすめ、セミナーやワークショップを開いている。      
                  

30歳のときにヒプノセラピーセッションで霊界通信を行い、幽霊騒動を解決に導くが、他の霊能者のプロモーション番組だったようで、残念ながらTVでは放映されなかった。                                        


スピリチュアルマスター 緑マナミ

International Past-life therapy Institute 認定セラピスト
NLP(神経言語プログラミング)コミュニケーション1級認定

ベビー&チャイルドマッサージセラピスト
レイキマスター
スピリチュアルヒーリングマスター
サイキックチャネラー,霊媒
スピリチュアルカウンセラー

スピリチュアルマスター 緑マナミ



メディア経歴


  • 1999年8月 SHIBUYA-FM局 前世療法 退行催眠中の様子や前世体験をした後の気づきや変化についてやセラピストの経歴や超常体験を報告
  • 2000年12月 テレビ朝日特別番組
    岐阜県の住宅で起きた霊現象が多くのマスコミに報道された。複数の人が体験したポルターガイスト現象や霊を見たという事件はニュースにも報道された。

緑マナミが心霊現象を体験した人にスピリチュアルヒーリングを行い、ヒプノセラピーで幼児期トラウマを開放する。また、ヒプノセラピー中に霊との対話を行い、霊現象の分析をした。

霊界通信となったセッション中に、霊との対話から亡くなった人の意思を家族に伝えてほしいと伝言された。
その時点で、心霊現象を体験した人は、「霊の人はちっとも怖くありません。とてもよい人です。私を信頼して伝言を頼んだんです」と言い、霊界通信の最後には緑マナミと住宅近くにあるパワースポットに光を降ろす作業も行った。

セラピーの後は、全く違った感覚になり、神経症状や腹痛や頭痛も治ったという。また、霊に対して怖がることがなくなったため、結果として心理現象を体験することは無くなった。

光のヒーリングによっても、その後住宅に霊が見えることはなくなった。

この様子はテレビに放映されることはなかったが、カメラマンやクルーが一部始終を目撃しており、この出来事に衝撃を受けたカメラクルーの一人は取材後に仕事を辞め、自身でヒーリングを学んで地元でヒーラーとして施術している。



Teen girl9月号
  • 2004年8月 宝島月刊誌「Teen Girl」9月号にペンネーム「波木麗華」として800以上の名前のサイキックリーディング鑑定結果を掲載



  • 2005年 スピリチュアルヒーリングマガジン anemone「ツインソウル」についてのインタビュー記事を掲載
  • 2006年 NTVのスピリチュアル特別番組にサイキックチャネラーとして小松賢次先生らと出演
    堂本光一さんが司会の番組でコメンテーターとしてスピリチュアルヒーラーやサイキックの先生方と霊的な現象についてディスカッション。

    光への扉
  • 2007年 著書「光への扉」を出版。

セラピールームを渋谷へ移転する。

「癒しフェア」出展 http://www.a-advice.com/


  • 2008年 稲荷大神のルーツを求め、韓国に半年滞在。
    ソウルにてスピリチュアルカウンセリング、ヒーリングを行う。
  • 2009年 湘南 藤沢セッションルーム
    スピリチュアルヒーリングセミナーを藤沢で開催
    民放ラジオ局より 前世セラピーについて取材
  • 2010年 群馬県みどり市 岩宿博物館サロンコンサートにて
    ナビゲート役をつとめる。

岩宿博物館サロンコンサート

2014年より 大阪 天満橋に関西サロン開業、2016年10月京都移転
2015年12月 台湾スピリチュアルヒーリング&リーディングのツアー
2016年10月 第2回台湾ツアー
2016年11月 あまなみ京都サロンを開業
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