ブログ/2017-01-20
四条畷神社と義詮
リーディングお話会にご参加のお客様
湊川神社にご一緒した方から
おたよりをいただきました(^^)
先日は、鎌倉リーディングお話会、
参加させていただき、ありがとうございました。
お仲間と一緒に参加させていただくのは初めてでしたので、
少し緊張しましたが、おかげ様で、一歩前に進めた気持ちです。
ブログ読ませていただきました。
ありがとうございました。
小林さんは、男性の方ですか?!
北条氏の末裔の方だったんですね。
足利義詮氏が仲介としてはたらいて下さってたと聞いて、
まず驚いたのは、
四條畷神社に行く前後に、
ネットで楠木正行氏について調べた時に、
義詮さんの遺言の事を知って驚いたので、
お墓の石碑が並んである画像を見てたので、
感情が高ぶり、思わず、涙が溢れ出て来ました。
今日、ブログを読んでから一日中、
暖かい気持ちに包まれていました。
そして、調べたのですが、
義詮さんのお母さんの赤橋登子さんは、
尊氏の正室なんですけど、
北条久時の娘で、
後醍醐天皇の呼びかけで
戦いに尊氏が鎌倉を離れた時に
義詮さんと登子さんは、
人質として鎌倉に残されてたんだけど、
新田義貞率いる軍が攻めて来た時に、
鎌倉から逃れた後に
正室の実家の赤橋家と
北条一族が滅亡しているそうで。
小林さんは、北条氏の末裔ですけれど、
足利義詮さんのお母さんが北条一族から
嫁いで来たからということで繋がるのですね。
小林さんのご好意で書き起こしていだだき、
掲載して下さって、感謝致します。
ありがとうございました。
上のおたよりをいただいて、私も整理するために調べました!
足利義詮は北条家の血を継ぎながら、足利尊氏の子であり、南朝側により鎌倉の母方北条氏は倒され、その後尊氏は南朝を攻め、義詮は室町幕府の2代目執権になりました。
『どのように栄華を誇ったものでも、
日に月にお土に捧げていないものはみな滅ぶ。
滅ぶ時は一瞬にして滅ぶ、
またそのさだめにあるものは、
滅ぶ時が一番美しい。』
という霊媒の際におりた通信霊
足利義詮の言葉がありました。
これは先日鎌倉で北条氏の末裔の方に
伝えられたものです。
義詮は生前、南朝側の楠木正行の墓の傍に葬ってほしいと
遺言したのですよね。
その深いお気持ちは、
はかり知れません。
ただただ弔いの気持ちをおくらせていただきたく
手を合わせようと思います。
おたよりをありがとうございます。